見ていて比較的わかりやすいスポーツと、ただ見ているだけではどうもよくわからないというタイプのスポーツがある。

 2006年、ワールドカップで盛り上がったサッカーはおそらく前者で、両チームの闘いの場であるピッチは、観客席からくまなく見渡せ、1チーム11人の選手たちがいまどんなことをやっているのかが見える。さらには、監督をはじめとするチームを支えるスタッフも同じフィールドにいて、その行動も覗ける。
 しかし、F1に限らずモータースポーツは、観客にとって、サッカーほどには親切でなく“やさしく”もない。たとえばサッカーでのピッチにあたるサーキットという現場に行けば、レース中は目の前を通り過ぎるレースカーを追うのが精いっぱい。ならば、と観客としてテレビ観戦に作戦を切り換えても、1周数キロにわたるコースで起こることのすべてを把握するのがむずかしいだけでなく、下手をすると勝負の付き方や付け方が、ますます見えなくなってきたりする。
 このチームは、なぜ速いのか?

 一方、あるチームはなぜ上位に行けないのか? また、あるグランプリで勝敗が決したとして、では、勝者はなぜ勝者たり得たか? そのレースの結果を決めたものは何だったのか?
 ひょっとしたらレースというのは、「観る」ことができるようになればなるほど、観客にとってのナゾが増えていく――そんな不思議なゲームなのかもしれない。
 しかし、そうしたナゾが、もし一切解かれないままであったら、レースを観ようとする人、またレースに関心を持ちかけた人であっても、観客であることをやめてしまうことがあるかもしれない。

 サッカーは、いまこの日本でも多くのファンをつかんでいて、国内リーグでも多くのファンをスタジアムに集めている。しかし私は、Jリーグ以前のサッカー(日本リーグ時代)の試合会場が閑古鳥が鳴く状態であったことを(ニュースなどで)知っている。しかし日本のサッカー界は、この10年、単にJリーグを発足させただけでなく、サッカーってこんなゲームですよ、こういうルールでやってますよ、さらには、世界にはこんなすごいチームや選手が存在しますよ、といったエデュケーションを地道にやってきた。線審が笛を吹く前に「あ、オフサイドだ!」と呟くことができるような観客を“作って”来たのだ。

 いま、レース界もいったん初心に還って、モータースポーツのルールと構造、その成り立ちと仕組みなどを、もう一度、観客とともに確認していく。そんなときが来たのではないかと思う。そして、そのわかりにくい部分を一応「ナゾ」という言葉でくくり、そして、プロレースファンを自称する山口正己とともに、その「ナゾ」をできる限り《開いて》いきたい。これはそんなトークで、その第一回に採りあげたのは、レースの戦略のなかでもいま、リザルトに直結しているタクティクスになっている「ピットストップ」とその作戦である。

マラソンとチェスとF1

家村(以下:) ある機内誌でおもしろい記事があった。自転車ロードレースの選手がインタビューで言うには、自転車競技って、アスリートというか肉体くらべの競技であるだけでなく、戦略とハードウェア競争が加わるそうで、「マラソンとチェスとF1を全部足した総合競技が自転車ロードレースだ」っていうんだけど、この視点っておもしろいなって思った。

山口(以下:) あ、その人ちゃんとF1を入れてるっていうか、きちんと見てるのね。

そう、自転車は、チーム内で優勝させる選手を決めて、その選手を「どう勝たせるか」っていう戦略を立てるよね。自転車の場合、先頭に立つと空気抵抗が辛いから、チームメイトでガードするとか。で、F1も「戦略」があるんでしょ? それをもっと語ってくれたら、より多くの人が興味を持つんじゃないかと思う。何よりいまは、給油というかピットストップの作戦とかその成否が勝敗を大きく左右してるでしょう?

ピットストップは少ないほどいいとは限らない

何回ピットストップさせるかは、各チームがそれぞれ緻密な作戦を立ていて、おっしゃる通り、勝敗のカギを握ってます。
 ただ、F1の給油は、すごく早いと思われてるかもしれないけど、実はかなり規制されていて、現在は、ピット作業の安全性を高めるために、1秒間に12.1リットルまでに規制されている。以前は、液体窒素でキンキンに冷して体積を小さくしたガソリンを、圧搾空気でバキュ〜ンと押し込んで、2〜3秒で給油を終えるといった無茶苦茶なことをやっていたので、それにくらべれば、現状はちょっとかったる(笑)。でも、街中のガソリンスタンドで50リッター入れるのに数分かかる。今度、ガソリンを入れるときに時間を計って給油量で計算すれば、多分1リットル入れるのに2秒くらいかかるはず。

それに比べればF1の給油スピードはいまでもかなり速いね。

しかしそれでも、タイヤ交換と給油でピットストップには5〜10秒の時間がかかる。それにピットレーンの制限速度もある。ピットレーンは、基本的に制限速度(通常100km/h。ピットロードが狭いコースでは80km/hになったり)がある。速度制限区間以外でも、狭いピットレーンの入り口や出口では当然遅くなるから、1回ピットストップをすると、通常周回より25秒前後ロスすることになる。

てことは、ピットストップの回数は、少なければ少ないほどいいんじゃないの? 失敗する可能性もあるし。

そうなんだけれど、ピットストップは数が多くなるほど優れている点もある。まず、レースで使う燃料の総量は決まってるから、その総量を何分割するか。ピットストップの数がおおくなるほど一度に積む燃料が少なくて済むでしょ? マシンが軽くなって、ラップタイムを速くできるわけだから。さらに、短い距離を走ればいいので、タイヤがあまり減らないわけで、より柔らかいタイヤがチョイスできて、となるとグリップがいいタイヤを使えることになって、この点でもタイムが上がる。ピットインのロスタイムに対して、速く走れるメリットをあれこれ比較して、2回がいいのか3回がいいのか、はたまた1回かと悩むわけです。

なるほどぉ、タイヤの選択や摩耗もからむんだ。

F1はチーム戦だ

さらに、1周走るごとに、タイムは変わってくる。走れば燃料が減った文だけ軽くなって速くなる。反対に、タイヤは走るほど減ってグリップが落ちて遅くなる。もっとややこしいのは、タイヤは、天候や状況によって、タイムの落ち方が微妙に違ってくる。そういうアレコレをすべて考慮しつつ、1周1周仔細なシュミレーションを想定して作戦を立てている。ややこしいのは、レース中に状況が刻々と変化すること。それに合わせて、作戦を随時変更しながらレースを戦っているんです。

要するに、ドライバーが一人で奮闘しているんじゃなくて、チームと緻密な連携を取っている、ってことですね。

だからF1はチーム戦なんですよ。

そうか。ところで、昔はピットインしたらリタイアと同じだ、みたいに言われてなかった?

そうそう。それをひっくり返した人がいたんです。1983年、それまで“レースからの脱落”を意味していたピットインが、“作戦”として使われるようになった。これにはちょっとおもしろい話があってね。

フムフム。

バーニー・エクレストンの千里眼

1982年第10戦イギリスGPを前に、ブラバム・チームという当時の名門チームが、ピットで「ある練習」を始めた。それは、決勝レースに対し、半分のガソリン量しか積まず、柔らかいタイヤでスタート。燃料が少ない身軽るさと柔らかいタイヤのグリップを利して30〜40秒先行リードを築いてピットイン。給油とタイヤ交換をして逃げるという作戦のためのピットワーク訓練だった。
 で、面白い話というのは、この時のブラバムのマシンデザイナーがゴードン・マーレイで、彼がこのピット作戦を考えたと思っていたら、実は違った。天才マーレイが所属していたブラバムのボスが、誰あろうあのバーニー・エクレストン。バーニーさんと言えば、F1を今日の形にした立役者だけれど、すでに20年以上前に、テレビ受けを考えて、マーレイに、タイヤ交換が必須の長距離レースであるインディ500を見物させ、その研究成果をF1のレースに生かした。結果として、それが主流になって、F1そのものの流れを変えてしまった。これぞまさしく先見の妙。マーレイは、天才デザイナーとして知られているけれど、エクレストン氏も、金儲けだけでなくてこんなところでも天才であることを証明していた、ってわけ。

レース中に、ピットレーンやピット内にあるいろんな機械が映しだされることがありますよね。あれは何をしてるというか、ピットは何を見てると考えればいいんでしょう?

シュミレートして立てた作戦とおりにレースが進んでいるかどうかを、モニターを睨んで、チェックしている。ピットにはチーム毎に作戦参謀がいて、ヘッドセットを着けて指示している。スタッフに仔細な計算をさせつつ、それを状況に応じて確認し、そして変更が必要なら適宜その指示をする。

暗号通信まで!?

 ちなみに、ピットウォールの“サインボードエリア”にも当然モニターはあるけど、ここにあるのは、表面的なタイムや順位が出ているだけ。でもピットの中には、数億円するといわれるスーパーコンピュータが持ち込まれ、マシンに搭載されたセンサーで拾ったデータを、テレメータリングと呼ばれる通信システムで受信してる。詳細なマシンの状況や、燃料搭載量、タイヤの状況、ブレーキの減り具合など、全部わかってます。パドックに並ぶトランスポーターの屋根に、高いアンテナが付いているのは、この通信のため。さらに、データは、それぞれのベース基地――ホンダなら栃木研究所、トヨタならドイツのTMGと東富士研究所に送られているかもしれない! この辺りの装備や送信状況はチームのトップシークレットです。

ところで、その種の通信って、盗聴はされないの?

いや、盗聴は当然ありです。でもスクランブルをかけて、特殊な方法で防いだり、あるいは暗号を使って、逆に相手を錯乱させる作戦があったりする。

テレビの放送で、チームのピットからの指示(無線)がときどき聞けるときがあるけど、あれって他のチームは聞いている? それとも、あれは放送関係だけに特別に流されてる?

他チームも聞ける。というか、あれは単に状況説明しているだけなので作戦とはあまり関係ない。時折、暗号みたいなことが使われたりしてるらしいです。この辺りも最高機密ですね。
 10年ほど前、F1のトップチームであるマクラーレンが、ピット作戦を考案したゴードン・マーレンに、ロードカーを作らせた。“マクラーレンF1”というそのクルマで日本のGT選手権に出ていたことがあるんです。今、トヨタF1に乗っているラルフ・シューマッハもドライバーの一人だったんだけれど、そのマクラーレンと日本のメーカーチームのチャンピオン争いがシリーズの最終戦までもつれこんだ。で、マクラーレンは、作戦を傍受されないようにスクランブルをかけるために、相手の発信電波を拾おうとしたんだけれど、いくらやっても拾えない。どうしてか? そのチームは、無線を持っていなかった!という笑い話。日本では、“スタートしたらあとはドライバーに任せている”とよく言われるけれど、それは“チーム戦”としてレベルが低いことの証明になっちゃうわけです。

なるほど、こういった「戦略」の部分をもっと“開いてくれる”ような放送がもっとあっていいと思いますね。レースって本来は、見た目の派手さはあまりないものであるはず。なぜなら、いいチームほど、ただただスムーズに走りつづけるだけで“事件”は起きないし(笑)。視聴者に何を伝えるかというとき、もっとこうした「戦略」に関しての情報があると、テレビ画面を見ながら、いろんな想像ができる。

こうした戦略の存在は、マニア以外は知らないのが当たり前だから。そこを少しずつ開いて、イマジネーションを膨らませてテレビが見てもらえるようにしなくちゃ。まだまだ、広めることはいっぱいありますね!

<出席者>
山口正己
 人呼んでプロのレースファン。初の生F1は30年前の富士スピードウェイ。F1を中心に世界中のレースを追いかける。インディ500、モナコGP、ル・マン24時間、デイトナ500を全部見物した奴もそうそういない。1987年にF1速報誌に先鞭をつける「GPX」を開発発明。今年はF1GPを18戦中14戦見物予定。なのにホンダが勝ったハンガリーGPを欠席。泣くに泣けない悲運な人生を背負って、今日も世界のサーキットへ。
家村浩明
 雑誌編集者を経てモータージャーナリストとして執筆活動を開始。時代を映す「鏡」としてのクルマに関心を持ち、歴史的考察や新型車の批評のほか開発ドキュメントを執筆テーマとする。モータースポーツは門外漢と言いながら、「自動車コラム大全」「プリウスという夢」などと並んで「ル・マンへ・・・レーシングNSXの挑戦」「最速GT-R物語」などの著書もあり侮れない。厳しい目を持つモータースポーツ観察人。