3月30日(日曜日)
●3月27日にジャン・マリー・バレストルが亡くなった。マックス・モズレーの前にFIAの会長を勤めた名物フランス人。4月7日に87歳の誕生日を迎えるところだった。
●セナの天敵という意見もあったが、プロストにも痛烈な皮肉を見舞っている。「プロストは、パンにバターとジャムのどちらを塗るかと聞いたら、“両方”と言って、それだけじゃなくてパンを塗っていたメイドもいただいちゃう奴だ」と。まぁ、批判というよりフランス人的な自慢にも聞こえなくもないけれど。
●バレストルさんは徹底して日本人も嫌いだった。というより、フランス人以外が嫌いだったとも。いや、好きとか嫌いとかいうレベルではなくて、日本人は階級社会の中で人と認めたくなかった。ホンダ第二期の監督を勤めた桜井淑敏さんは、規則についてバレストルと激論を交わしたが、最後に机を叩きながらこう言われたそうだ。「黄色い猿の言いなりにはならない!」。
●いつだったか、ホンダ・エンジンが一世を風靡していたターボ時代に、サンマリノGPの会場にやってきて会見を開き、この時も机を叩きながらこう仰った。「F1は、断じてエンジンの戦いではないっ、ドライバーの戦いだぁ!」。エンジンの強さを認めると日本を容認することになる。ドライバーにしておけば日本人はここまで届かない。憎たらしいが、少なくともいままではそれは正しい見識だったということになる。
●ちなみに、日本にもF1のチャンピオンはいないが、フランス人だったバレストルは、フランス人チャンピオンがアラン・プロストただ一人しかいないことをさぞ悔しがったことだろう。プロストの天敵セナの国ブラジルには3人、イギリスには7人もチャンピオンがいる。![]()
●日本人の中には、バレストルの後を引き継いだマックス・モズレーFIA会長(こちらはイギリス人)を平身低頭させる人物がいた。第一期ホンダF1時代に監督を勤めた中村良夫さんだ。モナコのパーティで会った時、中村さんはペコペコするモズレー会長と別れた後に、こう仰った。「私がなかなか偉いことが分かったでしょう」。偉人はお茶目な一面も持っている。お茶目な日本人ドライバー(例えば生沢徹さんのような)に出てきてほしい。





